断裁機の前は何をつくっていたのですか?

はい、断裁機を製造する前は、製麺機、手フート印刷機を作っていました。(製麺機を手がけるまでの歴史は、別に掲載してあります。)製麺機は戦後4年のころ注文が殺到し、問屋さんから引く手あまたでしたが、その後15年近く生産され、合計で約3万台にも達しています。上野の松坂屋デパートでも販売され、商社を通じて米国の日系2世向けやアセアン諸国にも数多く輸出されました。 製麺機を中心とする食品機械の製作に追われる中、昭和23年「手フート印刷機をつくってほしい」との注文が義松堂印刷所からの発注にこたえ、とりあえず「NA-2型手フート印刷機を」を5台制作しました。大変喜ばれましたが、余計に作った3台はしばらく埃をかぶっていたので、新聞広告をだしたところ浅草の実誠堂の谷塚鹿之助氏がお見えになり3台の印刷機を買い上げ、今後販売を引き受け、毎月15台は必ず売れるという言葉に励まされて、手フート印刷機の製造も手掛けることにしました。 そのうち、手フート印刷機に力が入り、印刷機械メーカーへと業種転換を行うことになりました。 やがて、NA-2型手フート印刷機は、全国の印刷機械販売ディーラーの知る所なり、印刷の出来栄えがよく、動きも軽く、使いやすいことが好評を得たようで、現在までに1万5千台を出荷しています。 手フート印刷機を足場に、大型印刷機、段ボール印刷機などを制作するようになりました。ともに、得意な鋳物を加工した、かわいい機械(今風に言いますと)です。 製麺機は家庭用に大変普及した小型のものです。主として鋳物のフレームや、手回しハンドル、カムなど小型の部品を組み合わせた機械です。手フート印刷機は、政一の父徳次郎の尽力で、知人の器用な棟梁が木型を作っていただいて、誕生しました。 美濃判の活版印刷機で、一枚一枚手で差し込んで印刷する、大変シンプルな仕組みですが、細かい部分も鋳物でできていて、大変器用に作られていました。 フレームの横に弊社のロゴNGIの文字が鋳出しであります。 弊社製手フート印刷機は、印刷局虎の門工場の工場玄関ホールにショーケースに入って飾ってありました。 当時印刷業を創業した方も多くあり、現在でも、一部の皆様は思い出の品として会社の片隅に飾っていただいている所もあり、心より御礼申しあげます。